『見知らぬ背中が教えてくれた』 エッセイ - 暮らしの拾いもの Vol.12
10.06 2023
仕事終わりでへとへとの身体をひきずりながら最寄りの駅へと辿り着いた。
いっせいに電車から吐き出された人たちはみんな、どこか疲れた顔をしながら足早に家路へと向かう。
その波から少し距離をとって、とぼとぼと歩いていたところ、少し前を歩いていた一人のサラリーマンと思しきスーツ姿の男性が立ち止まった。
彼はおもむろにスマートフォンを取り出し、空の写真を撮っているようだった。
つられて同じように天を仰ぐと、そこには驚くほど大きくて、まんまるで、ぼうっと柔らかな光を放つ月がこちらを見ていた。
ああ、今日は月がきれいな日だったんだ。
そういえば、SNSで誰かが言っていたような気もする。
気づけば、わたしの後方でも同じように立ち止まって写真を撮る人や、歩みは止めずとも「何だろう」と空を見上げる人たちがいた。
月がもたらした、ささやかな幸せの連鎖だ。
いや、そもそも彼がいなければ空を見上げることもなかったし、月に気づくこともなかった。
わざわざ足を止めてまで、月を見上げるなんていつぶりだろう。
家路を急ぐ人たちのなか、商店街の真ん中でぽつんと立ち止まったその背中のおかげで頑張った一日のご褒美に出くわせた。
あの人は、この月の写真を誰か大切な人に送るのかな。
勝手にそんな想像をしてにんまりしながら、ゆっくり歩き出す。
「月がきれいだよ」と、教えたい人の顔が浮かんで嬉しくなった。
(おわり)
#暮らしの拾いものvol.11
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